オフロードバイク+++上上

迷ったあしあと

携帯電話をZenfone3に変えてからPCを使わなくなってきました。

実に4年半ぶりの機種変なのだけれど、革命が起こった気分だよ\(^o^)/


P_20161120_093153_vHDR_Auto.jpg 

<キャブのセッティングを冬用にしました!>


かすにんです




「この感動って、とこから来るのかなぁ」って


ふと思ったのですけれど




私は仕事柄最新携帯はよく使うしテストする立場でもあるので


機体の能力値的なところやキャリアのサービス的なところ含めて


どちらの面も細かく理解しているので


いまさら感激って・・・ちょっと可笑しいのかな?って。




アプリが早い


音が綺麗!!みたいな


体感って面なら、仕事で嫌になるくらい最新機種を使うので


感覚の中心はいつでも最高水準に置いています。こっちに慣れています。



でも


プライベートの携帯が4年前の機種でも不満は無かったし


遅くてイライラすることや


音のきめ細やかさに不満を感じたことがありませんでした。





にゃのに今回の機種変で受けた感覚はーーー冒頭の通りです。


速くて便利さに感動すら覚えています。



     ミーテミーテ     ミテミテ
   ヽ(゚∀゚)ノ 三  (゚∀゚)ノ
    ( へ)     <(   )
    く   (゚∀゚ ) く し
     ミ ~(  ~) 彡
        ノ ノ ミーテミーテ






P_20161127_102138_vHDR_Auto.jpg 

<1合炊きがいいのか、2合炊きがいいのか>



「嬉しいな」っていうこの感覚はどこから来るのか。


それも今さら?


理解できない自分の事をゆっくりと考えるのには時間が必要ですが


この数週間


週末はソロで炊飯を極める旅に出ていたので


やることが無いから仕方がない。


真面目に考えてみました。





そこで出た答えは


普段仕事で触れる携帯電話の速さや機能を


長い時間体感していても


「自分のものでは無い」という心のフィルターを通すことで


現実だと捉えていなかった。


だから、長い間の作業も自分の経験にはなっていなかった。と、


いうものでした。




この考えに至る道筋としては



以前私は


バイクの試乗をした時に受ける感覚は


本人の経験や体調等からくる「差」に大きく左右される。と書きましたが、


それと同じ整理をしています。





解りやすく言うと


寒いときに乗ったときと、温かいときの違い。


風が吹いているとき、いないときの違い。


ロード育ちと、オフ育ちの乗り手の違い。


レーサーに乗ったあと、ツーリングの途中の乗る直前までの状態の違い。


などなど


いろんな差でバイクから受ける感覚にフィルターがかけられ


受ける印象にバイアスがかかるというものなのですが


対象がバイクと携帯が入れ替わっただけ。とまぁ、そんな頭の整理です。



そもそもバイクって乗り物は


ガーってやって、ドバッって開けて、グイって曲げて、


シュッてやってポーン!!でバリバリーーーな乗り物ですから


当たり前の話ですけどね。





でも今回の私は


道の駅や、林道の入り口で一人クッキングして感覚が時済まされていたので


少し怖いことに気付いてしまいした。


P_20161127_101155_vHDR_Auto.jpg 

<土鍋は結構安い。>



わたしが考えた事は、2つに分岐しています。




1つ


バイクの話に限らず


立場や状況によって物事の捉え方が変わることは多くの人が理解できる事実だと思う。


刻々と変わる自身へのインプットに、その時の自分が感じた純粋な評価を下すのは


自分自身という物差しがブレなければできる事だと思う。



でも時々、


天邪鬼なのか純粋な評価を下せない時がある。ってことに気づいたこと。


これが怖かった。




目をつぶると思い出せる嫌な自分は


いつのまにか物事の変化に無頓着に……いや、変化していないよ!と嘘をつく姿で


世の中の動きって奴に着いてゆけない事を


ポリシーがあってカッコいいことだと勘違いしている。


思考が固まり始めている。



P_20161127_173811_vHDR_Auto.jpg 

<結局、実家からお古の土鍋をもらった。>



2つ


状況によって感覚がブレるって話の前段、自分の物差しについて。


物事を捉える自分自身(ものさし)を成長させるにはどうすればいいのだろう。



あああああ

<物差しが多く影響を受けない事と、思考停止で影響を無視する(受けない)のは違う。> 




クック神になってから1週間考えましたよ。



熱源(コンロ)を変えようか、クッカーを変えようか(笑


ガスマットを使おうか圧力釜か……(@_@)ウ~ン。結構真剣に。




迷いに迷っている私を見て


「アンタ、いつも幸せだね※」と家族に言われて気づいたのですが


この楽しさの源は


料理に失敗するケースを想定して対策を練る時のワクワクから来ていて


この小さな課題に対するPDCAサイクルが


自分の権限下で自由に進められる所に幸福感を感じることができるのだと。




人がどこの何に興味を抱くか解りませんが



形は違えどその人なりのPDCAを回せば幸せになれる。


と考えるようになりました。




逆に「幸せじゃあない」っていうのは


これから先のことを妄想(計画する、夢をみる)すらできない


そんなことなんだと思いました。





本当にそうなのかな・・・?


ケースを思い浮かべてみます。



「働いて時間がない人って全て不幸なの?」と自問しましたが


労働が興味の対象である場合もありますし


ここでの時間とは、物理的に経過する時間ではなく(時間は物理ではないが)


子供の寝顔を覗くだけで満たされるような


個人脳内の体感的な時間経過の事なので


何かしら達成するまでが一つの時間の単位、「区切り」って置き換えると


働いて時間が無くても幸せはある。って解る。






また、


「欲しいものが買えないのは幸せじゃあないの?」という自問には


お金を貯めて買うまでのプロセスに幸せを感じるかもしれないし


時に諦め、他のもので代替したとしても


別のものに幸せを多く感じる事も出来るはずです。



幸せは一瞬じゃないし、1ルートじゃないし、一つだけじゃないのです。



このように捉えると


興味の対象に対する


自分自身が決めた期間でのPDCAサイクルは無限に大きくも小さくもできて


たくさんあって、道筋もたくさん。


肉体的な影響を受けない。


そんな幸せを感じるための仕組みを皆持っているのだと


考えることが出来るようになりました





皆さんが僕を一人にするから


「人さし指が動かなくなってしまうかもしれない。」なんて考えはじめて


迷い迷って、別の道についても考えてみた。


そんないい機会になりました。


結局は「単なる骨折は12月中に完治」で再出発を迎えようとしているのですが


迷った中で真剣に考えた新しい可能性とか


なんくるないさッポイ幸せの捉え方とかは


自分の足跡ととして残しておこうかと思います。


無駄にはならんと思うのよね。




追伸


ついにギブスが取れました。


まだ完全に着いてはいないけれど、固まった関節を徐々に動かしています。



テストの結果、炊飯は土鍋で行きます。


野外でステンの火力を調整するのは難しすぎるし


2重なべ作戦は良いけど・・・メンドクサイ。たんなるBBQならやるかも。


ガスマットは炊飯以外でも使えそう!!


・・・だけど土鍋がめっちゃ簡単だったワ(;´・ω・)



初めちょろちょろ、中ぱっぱ!!


赤子泣いても、家焼くな!?




つづく


スポンサーサイト

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

おらはついにガラケーに終止符を打ちます。

炊飯限定ならリンナイとかパロマで出してる
炊飯専用鍋がおすすめ。

ジクリバー | URL | 2016-11-28 (Mon) 23:50 [編集 ]


 

トラックバック